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最高裁判所第二小法廷 平成6年(行ツ)152号 判決 1998年4月10日

①事件

上告人

法務大臣

下稲葉耕吉

右指定代理人

細川清

外一一名

被上告人

崔善愛

右訴訟代理人弁護士

橋本千尋

八尋光秀

主文

原判決中被上告人の上告人に対する請求に関する部分を破棄し、右部分についての被上告人の控訴を棄却する。

前項の部分に係る控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人増井和男、同鈴木健太、同河村吉晃、同佐村浩之、同福原申子、同吉野孝義、同菊川秀子、同青木康博、同坂中英徳、同黒田一博、同沖貴文、同清水洋樹、同井上淳、同永住優二、同大野和則の上告理由第一点について

再入国の許可申請に対する不許可処分を受けた者が再入国の許可を受けないまま本邦から出国した場合には、右不許可処分の取消しを求める訴えの利益は失われるものと解するのが相当である。その理由は、次のとおりである。

本邦に在留する外国人が再入国の許可を受けないまま本邦から出国した場合には、同人がそれまで有していた在留資格は消滅するところ、出入国管理及び難民認定法二六条一項に基づく再入国の許可は、本邦に在留する外国人に対し、新たな在留資格を付与するものではなく、同人が有していた在留資格を出国にもかかわらず存続させ、右在留資格のままで本邦に再び入国することを認める処分であると解される。そうすると、再入国の許可申請に対する不許可処分を受けた者が再入国の許可を受けないまま本邦から出国した場合には、同人がそれまで有していた在留資格が消滅することにより、右不許可処分が取り消されても、同人に対して右在留資格のままで再入国することを認める余地はなくなるから、同人は、右不許可処分の取消しによって回復すべき法律上の利益を失うに至るものと解すべきである。そして、右の理は、右不許可処分を受けた者が日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法(以下「出入国管理特別法」という。)一条の許可を受けて本邦に永住していた場合であっても、異なるところがないというべきである。

これを本件についてみると、原審の適法に確定したところによれば、被上告人は、昭和四四年一〇月一日付けで出入国管理特別法一条の許可を受けて本邦に永住していたものであるが、昭和六一年五月三〇日付けでした再入国の許可申請に対して上告人が同年六月二四日付けで不許可処分(以下「本件不許可処分」という。)をしたにもかかわらず、再入国の許可を受けないまま、同年八月一四日に本邦から出国したというのであるから、本件不許可処分の取消しを求める訴えの利益は失われたものというべきである。右と異なり本件不許可処分取消しの訴えを適法とし本案につき判断した原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、その余の点について判断するまでもなく、原判決中被上告人の上告人に対する請求に関する部分は破棄を免れない。そして、以上によれば、右請求に係る被上告人の訴えを却下した第一審判決の結論は正当であるから、右部分については被上告人の控訴を棄却すべきである。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官根岸重治 裁判官大西勝也 裁判官河合伸一 裁判官福田博)

上告代理人増井和男、同鈴木健太、同河村吉晃、同佐村浩之、同福原申子、同吉野孝義、同菊川秀子、同青木康博、同坂中英徳、同黒田一博、同沖貴文、同清水洋樹、同井上淳、同永住優二、同大野和則の上告理由

第一点 訴えの利益に関する判断についての法令違背及び理由不備

本件は、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法」(昭和四〇年法律第一四六号、以下「特別法」という。)一条二項に基づいて我が国における永住を許可されていた者(以下「協定永住者」といい、協定永住者として我が国に在留できる資格を「協定永住資格」という。)であった被上告人が、昭和六一年五月三〇日に再入国許可申請(以下「本件申請」という。)をしたところ、上告人が同年六月二四日付けで不許可処分(以下「本件処分」という。)をしたので、その取消しを求めるというものである。

しかし、被上告人は本件処分後である同年八月一四日に再入国の許可を得ることなく我が国から出国したから、被上告人が本件処分の取消しを求める利益を消滅した。しかるに、原判決は、被上告人の右出国の事実を認定しながら、被上告人には本件処分の取消しを求める利益があると判示している。原判決の右判断には、「出入国管理及び難民認定法」(平成元年法律第七九号による改正前のもの。以下「入管法」という。)二六条及び行訴法九条の解釈、適用を誤った違法がありその違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるほか、理由不備の違法がある。

一 本件訴えの利益の消滅

1 「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」(昭和四〇年条約第二八号、以下「日韓地位協定」という。)は、多年の間、我が国に居住している大韓民国国民が我が国の社会と特別な関係を有するに至っていることにかんがみ、同国民が我が国の社会秩序の下で安定した生活を営むことができるようにしたものであり、その協定内容を実施するについて特別法が制定された。ところで、日韓地位協定一条は、一定の要件の下に、大韓民国国民が永住許可の申請をしたときは我が国での永住を許可することとし、特別法も同様の規定(一条)とともに若干の手続的な規定を設けている。そして、かかる規定により永住の許可を受けている者の出入国及び在留については、同法七条において、同法に特別の規定があるもののほか、入管法によると定められている。これらの規定から明らかなように、特別法一条二項の許可に基づいて我が国に永住できる地位、すなわち協定永住資格は、特別法に規定されている永住許可の失効、退去強制事由等の点を除けば、入管法で定められている一般の永住者の資格と本質的な差異はなく、入管法四条に定められている在留資格の一種と解される。したがって、協定永住資格も、他の在留資格と同様に、当該資格を有する者が我が国に在留していることを存続要件とし、再入国の許可を受けることなく我が国から出国することにより当然に消滅する。

したがって、被上告人の協定永住資格は、被上告人が再入国の許可を受けずに、我が国から出国した昭和六一年八月一四日の時点で消滅した。このことは原判決も認めるところである(原判決一四丁表八行目から同一六丁五行目まで参照)。

2 他方、再入国の許可は、入管法二六条一項に規定するとおり、法務大臣が、我が国に在留する外国人がその在留期間(在留期間の定めのない者にあっては、我が国に在留し得る期間)の満了の日以前に我が国に再び入国する意図をもって出国しようとするときに、法務省令で定める手続により、その者の申請に基づき再入国の許可を与えることができるという制度である。右再入国の許可は、我が国に在留し、出国しようとする外国人に対し、先に決定された在留資格および在留期間のままで再入国することを認めるという処分にすぎず、その者に新たな在留資格を付与するものではない(最高裁昭和四〇年一二月二三日第一小法廷判決・判例時報四三七号二九ページ)。したがって、再入国許可に当たっては、当該外国人が在留資格を有していることが当然の前提とされている。このことは、本来、外国人は在留資格を有しなければ我が国に上陸することができず(入管法四条一項)、通常の入国手続においては、有効な旅券で日本国領事館等の査証を受けたものを所持しなければならない(同法六条一項)が、再入国の許可を受けている場合にはこれを要しないとされ(同項ただし書)、また、入国審査官は外国人の旅券に上陸許可の証印をする場合に当該外国人の在留資格及び在留期間を決定し、旅券にその旨を明示しなければならない(同法九条三項本文)とされているが、当該外国人が再入国の許可を受けている場合には、在留資格及び在留期間を決定することを要しない(同項ただし書)とされていること及び再入国の許可の有効期限が一年以内という短期間でかつ在留期間の範囲内に限られること(同法二六条三項、一項)、さらに、外国人登録法上も、外国人は上陸の日から九〇日以内に外国人登録の申請をしなければならない(同法三条一項)が、再入国の許可を受けている場合には、右申請を要しないとされている(同項括弧書)ことからも明らかである。

3 以上によれば、仮に本件処分が取り消されたとしても、被上告人は、既に協定永住資格という在留資格を喪失しているから、その存在を前提として再入国許可処分を受ける余地はない。被上告人が本件処分の取消しを求める法律上の利益を失ったことは明らかである。

二 原判決の誤り

原判決は、上告人が適法に再入国許可をしていれば、被上告人は出国によっても協定永住資格を喪失しなかったから、上告人において再入国許可をする余地がないと主張することは信義誠実の原則に反するとして、本件処分が取り消された場合には、上告人は、「本件再入国許可申請を原則として、本件不許可処分をした時点を基準として再審査すべきものであって、控訴人(被上告人)の出国による協定永住資格喪失を考慮に入れることは許され」ず、被上告人には「現在の在留資格よりも法的利益の大きい協定永住資格回復のために」本件処分の取消しを求める利益がある旨判示している。

しかし、原判決の右説示には、右一に述べたところに反する点においてはもちろん、次の点においても、前記の法令違背及び理由不備の違法がある。

1 原判決は、本件処分が取り消された場合には、上告人は本件処分時を基準として再審査すべきである旨判示しているが、そのように解すべき法令上の根拠は存しない。

一般に私人の申請を拒否する行政処分が判決により取り消された場合、行政庁は改めて当該右申請に対して処分をし直すことになる(行訴法三三条二項)。その際、行政庁は取消判決の拘束を受けることになる(同条一項)が、再度の処分自体は、さきの処分とは別個の行政処分である。したがって、再度の処分がその時の法令及び事実関係に基づいてされるべきことは当然であって、既に取り消された拒否処分の時の法令及び事実関係に基づいてされるべき根拠はない。原判決のような理解を前提とすれば、最初の拒否処分後の法令ないし事実関係の変動は当該拒否処分取消訴訟の訴えの利益に何ら影響しないという帰結になるが、行政処分後の事情の変化が訴えの利益に影響することは最高裁判所昭和五七年四月八日第一小法廷判決(民集三六巻四号五九四ページ参照)を始め多くの判例の認めているところである。

原判決は、前記のように解する理由として、上告人が適法に再入国許可をしていれば被上告人は出国によっても協定永久資格を喪失しなかったから、上告人において再入国許可をする余地がないと主張することは信義誠実の原則に反することを挙げている。しかし、そもそも、訴えの利益の有無は職権調査事項であるから、これについての当事者の主張が信義誠実の原則に反するか否かは、およそ裁判所の考慮の対象となり得ないものである。また、上告人において再入国許可をする余地がないと主張することが仮に信義誠実の原則に反するとしても、そのことから当然に最初の拒否処分の時の法令及び事実関係を前提として再度の処分をすべきであるという結論が導かれるものではなく、原判決の右判断は論理的な根拠を欠く独断にすぎない。

仮に原判決は、上告人が再度の処分をするに当たっては信義公正の観点から被上告人が在留資格を喪失していることを考慮すべきでない、という趣旨を述べているにすぎないとしても、もともと被上告人が協定永住資格を喪失したのは本件処分によるものではなく、自らの意思によって我が国から出国したことによるから、かかる協定永住資格喪失の点を考慮することが信義則に反するものでも不公正であるものでもない。

加えて、裁判所が訴えの利益を肯定した理由は、再度の処分をする行政庁を当然に拘束することにはならない(行政法三三条二項)。

2 原判決は、前述の論理を前提として、被上告人には現在の在留資格よりも法的利益の大きい協定永住資格回復のために本件処分の取消しを求める利益があると判示している。

しかし、百歩譲って、本件処分が取り消されたと仮定して、本件申請について再審査をし、これを許可するとしても、客観的には右許可処分の時点で被上告人は既に協定永住資格を喪失しているから、そのような許可処分によって被上告人が再度当然に協定永住資格を取得することにはならない。けだし、前述したように、再入国許可処分は処分時の在留資格によって再入国を認めるという処分にすぎず、新たな在留資格を付与するものではないからである。原判決はこの点について「協定永住資格回復」という文言により、いったん消滅した協定永住資格が再入国許可処分によって復活するかのような表現をしているが、その趣旨及び理由は全く示されておらず、この点について理由不備があるというほかはない。また、原判決が再入国許可処分によって被上告人の協定永住資格が当然に復活すると解しているとすれば、その解釈は入管法二六条の解釈を誤ったものである。

第二点 法務大臣の裁量に関する違法性判断についての法令違背

原判決は、協定永住者の法的地位は日本国民とほとんど異ならない地位にまで高められており、他方、日本国民は憲法上海外旅行の自由が認められていることからすれば、協定永住者に対する再入国許否処分の法務大臣の裁量の範囲は、他の在留資格者に対する再入国許否処分の場合と異なり、自ずから一定の制約があるとした上、①本件処分の主な理由が被上告人が二度にわたって指紋押なつを拒否したこと、②本件処分時には第二回目以降の指紋採取は重要性を失っていたこと、これに対して、③本件申請が不許可となれば結果的に被上告人が協定永住資格を失い、再度協定永住資格を取得する余地はないこと、④被上告人の指紋押なつ拒否はその拒否運動を意図したものではないこと、⑤本件申請は被上告人としては断念できない音楽の勉強のための留学を目的とするものであったこと等から、本件処分は、実質的に退去強制処分と異ならない法的不利益を被上告人に与える苛酷な処分であり、比例原則に反し、法務大臣の裁量の範囲を超え又は濫用があったものとして違法であるとするが、右の認定判断には入管法二六条、外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの。以下「外登法」という。)一四条及び行訴法三〇条の解釈、適用を誤った法令違背があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 そもそも外国人は、憲法上、我が国に入国する自由を保障されていないことはもちろん、在留の権利ないし引き続き在留することを要求し得る権利を保障されているものでもなく(最高裁昭和五三年一〇月四日大法廷判決・民集三二巻七号一二二三ページ)、したがって、我が国に在留する外国人は、憲法上外国へ一時旅行する自由を保障されているものではない。憲法は、在留外国人の再入国の自由ないし海外旅行の自由については立法政策にゆだねていると解されるところ、再入国の許可について入管法二六条一項は、法務大臣が再入国の許可を与えることができる旨を規定するにとどまり、再入国許可処分についての処分要件ないし裁量権の範囲を定めていない。このように再入国許可処分について、その許否の判断基準が特に定められていないのは、法務大臣に、当該外国人の経歴、性向、在留中の状況、海外渡航の目的、必要性等極めて広範な事情を審査して、その許否を決定させるためである。すなわち、法務大臣は、再入国許可申請の許否を決するには、適正な出入国管理行政の保持という見地に立ち、その広範な裁量によって、申請自体の必要性、相当性のみならず、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・社会情勢、国際情勢、外交関係等諸般の事情をしんしゃくした上、的確な判断をすべきものである。

このような再入国許否処分に係る法務大臣の裁量権の性質及び範囲に照らすと、裁判所は、再入国不許可処分の違法性の有無を審理、判断するに当たっては、法務大臣の広範な裁量権を前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断を裁量権の範囲を逸脱し又はその濫用があったものとして違法であるとすることができるのである(右最高裁昭和五三年一〇月四日大法廷判決及び東京地裁昭和六一年三月二六日判決・行裁例集三七巻三号四五九ページ、その控訴審東京高裁昭和六三年九月二九日判決・行裁例集三九巻九号九四八ページ、その上告審最高裁平成四年一一月一六日第一小法廷判決参照。)。

上告人は、被上告人からの本件申請に先立つ再入国許可申請について、指紋押なつ拒否の事情を考慮し、昭和六〇年三月一三日付けで不許可処分をしている。そして、本件処分は、右不許可処分時にもまして被上告人が指紋押なつに応じる見込みがないものと認められたため、外登法に対する遵法精神を著しく欠如するものと判断し、さらに、申請自体の必要性及び相当性、被上告人の外国人としての在留中の一切の行状、指紋押なつ拒否が社会運動化している国内の政治情勢、国際情勢、外交関係等の諸般の事情を総合判断して行ったものであって、その裁量判断において、重大な事実誤認があったり、事実評価の面において明白に合理性を欠いたなどとは到底いえない。

二 原判決は、日本から出国した外国人が日本へ再入国することは日本国民による渡航と祖国への帰国という関係とは本質的に異なり、外国人の再入国は権利として保障されているとはいえないとしているにもかかわらず、協定永住者の法的地位が永住資格の付与、退去強制事由の制限、教育を受ける権利の取得等の点において日本国民とほとんど異ならない地位にまで高められているとして、協定永住者に対する再入国許否処分の法務大臣の裁量の範囲については、他の在留資格者における場合に比し自ずから一定の制約があるとするが、このように解する根拠はない。すなわち、協定永住者に付与された右の特典は、協定永住者が日本に在留することを前提としてその便宜を図った結果にすぎず、もとより出入国や在留自体について日本国民に準ずる法的利益を認めたものではないし、右の特典が与えられたからといって、協定永住者が外国である日本から出国して再入国することと、日本国民が海外へ渡航して祖国へ帰国することとの間にある本質的な差異を解消させることとはなり得ない。したがって、原判決の右の説示が誤っていることは明白である。

三 ところで、原判決は、第二点冒頭の①ないし⑤の点をふまえて本件処分が裁量の範囲を超え又は濫用があったものと判断している。しかしながら、原判決は、右②ないし⑤に掲げる個々の事情についてはもちろんこれらの諸点を総合した事情についても正当に評価していない。したがって、右判断には前記法令違背がある。

1 前記②の事情について

そもそも、我が国に在留する外国人の公正な登録を保持するために、指紋押なつ制度を採用するか否か、採用するとした場合に指紋を採取する外国人の範囲、方法、内容をどのように定めるか等は、国内の不法入国者や不法残留者の状況をはじめとして、国内の政治、経済、社会的諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲、指紋押なつ強制の個人の自由ないし権利に対する侵害の程度など諸般の事情をしんしゃくして、そのつど立法府において合理的な裁量の上に決定されるべき問題であって、外登法に基づく指紋押なつ制度が憲法一三条及び一四条に違反するものでない以上、行政府としては、外登法に基づく行政をすることが義務付けられている。

しかるに、原判決は、指紋押なつ制度そのものは合憲、合法であるとしながら、昭和四九年外国人登録切替時における指紋原紙への押なつを省略してもよいとしたこと、昭和四六年から約一四年間にわたり法務省が二回目以降の指紋を入手しなかったことなどを根拠として、二回目以降の指紋採取は重要性を失っていたとしている。

しかしながら、原判決がいうように、外登法一四条の指紋押なつ制度が合憲、合法であれば、指紋押なつ拒否が違法として相応の評価を受けるのは当然であって、原判決が、指紋押なつ制度は合法であるが、その違反についてはさしたる意味がないというのは論理矛盾というべきである。また、指紋押なつ制度は、これを採用する必要性とそれによる不利益とを衝量し、かつ、その時の社会情勢等を背景により適切な方法を摸索しながら実施されてきたのであって、採用された手続によっては二回目以降の指紋が入手できなくなる結果を生じたとしても、それによって直ちに二回目以降の指紋採取に重要性がなくなったとはいえない。

なお、昭和六二年法律第一〇二号による外登法一四条の改正によって、指紋の押なつが原則として新規登録の際のもので足りるとされたが、、これは、当時、我が国を取り巻く国際環境が改善され、航空機の大型化による大量高速輸送時代を迎えて国際交流が一層活発化し、国内の経済、社会、雇用、治安などの諸環境も安定化しつつある等出入国管理をめぐる内外の情勢も全体としてみれば徐々に改善の方向に向かいつつあった反面、不法入国者、不法在留者は依然後を断たないため、指紋押なつ制度の維持が外国人登録制度の正確性を担保するため不可欠であるとの考え方を堅持しつつ、政策的配慮から在留外国人の心理的負担の軽減を図ろうとしたものである(黒木忠正「外国人登録法改正」ジュリスト八九六号六五ページ、乙第二一号証参照)。したがって、これは従来の指紋押なつ制度が不合理なものであったことを前提としたものではない。また、本件処分の直後に右改正があったからといって、本件処分当時の二回目以降の指紋押なつが重要性を失っていたと評価されるべき筋合いのものでもない。

2 前記③の事情について

本件処分自体は、被上告人に対して協定永住資格を失わせるものではない。被上告人は、その自由意思によって我が国から出国したことにより右の資格を喪失したものである。

原判決は、本件処分が実質的に退去強制処分と異ならない法的不利益を与えるとも判示しているが、原判決の右評価は極めて不当であり、その誤りは明らかである。すなわち、被上告人としては、再入国許可を得ずに我が国から出国することを断念するか、又は外登法等の定める義務を履行することによって再入国許可を得た上で出国することが可能だったから、本件処分が実質的に退去強制処分と異ならないなどとはいえない。

3 前記④の事情について

そもそも、原判決は、被上告人の指紋押なつ拒否の理由が外国人登録証に対して抱く在日韓国人の痛みを理解してほしいとの願いからで、その拒否運動を意図したものではないという事実につき、証拠に基づく認定をしていない。原判決は、被上告人が右の趣旨を「述べている」(原判決一三丁裏一〇行目)にすぎないのに、証拠に基づかずこれを採用したばかりでなく、右供述の信用性についても何ら検討をしていない。そして、被上告人は、指紋押なつ拒否が外登法違反であることを十分に承知していながら、法定の義務を履行しなかったことは明らかであり、これと当時指紋押なつの拒否が社会運動化していた状況に照らすと、被上告人が指紋押なつ拒否運動を意図したものではないという認定は、是認されるべきものではない。

また、被上告人が指紋押なつ拒否の理由として述べる目的を果たすためには、言論その他の方法によってこれを達成することが十分に可能であり、あえて指紋押なつを拒否するという行為によってこれをしなければならない必然性はない。したがって、右違反が再入国許否処分に当たって考慮されるべきことは当然であって、原判決のいうような評価を受ける筋合いではない。

4 前記の⑤について

およそ再入国許可申請をする外国人は一定の目的をもって出国するのであり、被上告人の本件再入国許可申請の目的が留学にあったという点はさほど意味のあるものではない。また、右留学が被上告人として断念し得ないという認定も、証拠に基づくものではない。

以上に述べたとおり、原判決の指摘する右各事情は本件処分が裁量権を逸脱し又は濫用したものとする根拠とはなり得ない。したがって、一において述べた裁量権の逸脱、濫用に関する判断基準に照らすと、本件処分を違法なものということはできない。

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